二代「和泉守兼定」(かねさだ)は、室町時代後期、美濃国(現在の岐阜県中南部)美濃伝関派の刀工である。初代兼定の子と伝わる。 明応(1492年~)の初めは「兼定」と切った銘の「定」の文字を、文亀元年(1501年)に「定」から「㝎」に改め、「ウカンムリに之」に見えることから「之定(のさだ)」の通称で呼ばれる。永正七、八年頃、和泉守を受領し「和泉守兼定」として関鍛冶を代表する名工となる。「末古刀最上作」に位置付けられ、江戸時代には「千両兼定」と称され、関孫六兼元と人気実力を二分した。兼定作は、切れ味鋭く、柴田勝家、明智光秀等多くの武将の愛刀となった、江戸時代の刀剣書「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)には「最上大業物」の刀工と記載されている。銘は「濃州関住兼定」「和泉守藤原兼㝎」と切る。
代表作
特別重要刀剣 刀 銘 和泉守兼定作 (金象嵌)二ツ胴三浦将監所持