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「型」と日本刀

「型」と日本刀

もちろん、実際にそこに本物の相手をおいて、そこに向かっていく組手のような形式もないわけではありませんが、基本的には、自分自身の中に敵を見つけ、そこに向かって戦っていくという形式がよく取られているようです。これは、まさに実践的な稽古の外でも、自分自身が一人でいる時であっても、鍛錬を積むことができるため、日々の動作や動き方を練習に生かすことができると言えるのです。一人で練習することは、実は相当辛いことで、誰も外から関わる外的要因がない中でいっさいの誘惑に負けず自分がなすべきことをしっかりやりきるという覚悟と、それを実行する意思はまさに武士道の実現に他なりません。かつて、江戸時代や戦国時代の武士がそうしていたように自分自身で自己を完結させ、全ての行動に責任をとっていくという考えが重要なのです。このような鍛錬の時間を昔は意図的にとっていたわけですが、幸いにも、現代では、様々な技術の発達によって、予定と予定の合間に時間が空くことが多くなってきました。例えば、電車を待っている間や、家で宅配物が届くのを待っている間など、様々な隙間時間に鍛錬をしてみるのもいいかもしれませんよ。一人で自由に稽古ができるということは、自分自身の気力などによって、適切な調節をしながら稽古ができるということですから、居合道の実践の現場から離れても、自分自身の鍛錬につながっていると言えますし、これもまた講義での武道に含まれるとも言えるのです。武道の中でも、多くは刀を使わない流派もあるのですが、居合道では特に刀を使うことが必須になってきます。刀を使うということは、それだけで余分が一つ増えるとも考えられるわけで、その点でいかに自分と刀との間の溝をなくしていくのかということが重要だと聞いたことがあります。