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二代「和泉守兼定」「之定(のさだ)」

二代「和泉守兼定」(かねさだ)は、室町時代後期、美濃国(現在の岐阜県中南部)美濃伝関派の刀工である。初代兼定の子と伝わる。 明応(1492年~)の初めは「兼定」と切った銘の「定」の文字を、文亀元年(1501年)に「定」から「」に改め、「ウカンムリに之」に見えることから「之定(のさだ)」の通称で呼ばれる。永正七、八年頃、和泉守を受領し「和泉守兼定」として関鍛冶を代表する名工となる。「末古刀最上作」に位置付けられ、江戸時代には「千両兼定」と称され、関孫六兼元と人気実力を二分した。兼定作は、切れ味鋭く、柴田勝家、明智光秀等多くの武将の愛刀となった、江戸時代の刀剣書「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)には「最上大業物」の刀工と記載されている。銘は「濃州関住兼定」「和泉守藤原兼」と切る。

代表作

特別重要刀剣 刀 銘 和泉守兼定作 (金象嵌)二ツ胴三浦将監所持

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補助的な役割だった刀

戦場の武士が持っていたのは、主に弓矢と日本刀です。映像作品などを見ると、日本刀メインで敵を斬り伏せていくというイメージがあるかもしれませんが、当時の負傷者の統計を見ると違っています。

この統計は兵士が自ら状況報告をしたものなどをまとめた記録からの集計ですが、約9割近くの負傷原因が弓矢による負傷だったそうです。

刀の斬り傷での負傷というのは、なんと1割にも満たなかったそうです。これは応仁の乱までの資料と、島原の乱までのおおよその期間を確認しても、鉄砲での負傷が増えただけで、刀が原因というのはやはり1割には届きませんでした。

ここから分かるのは、鎌倉室町~江戸時代の戦場では、刀はあくまで補助的な武器であったということです。遠距離で戦う方が、ダメージを抑えられるので、当然の結果と言えるかもしれません。

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刀の材料である鉄

日本刀の特徴として、鉄があります。鉄というと馴染みのあるような材質が想像されるかもしれませんが、それは明治時代以降に、外国から取り入れた製法で作られているのです。一方で日本刀に使われているものは「和鉄」と呼ばれており、たたら製鉄法で作られている特別なものになっています。和鉄に対して、近代的な製法で作られたものを「洋鉄」と呼び分けています。製法はもちろんですが、大きな違いは原材料になっています。和鉄の原材料は砂鉄であり、洋鉄の原材料は鉄鉱石になっています。もし和鉄以外の鉄を使って刀を作った場合、日本刀と呼ぶことはできません。材料にこだわっているのは、複雑な日本刀作りの工程も関わっているからです。現在の刀鍛冶は五年以上の修業期間を終えた上で、許可を得て刀鍛冶になっています。しかし和鉄以外を使ってしまえば、即廃業と言われるレベルだそうです。

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日本刀を高く売るには?

日本刀は作られた時代や製作者、サイズやランクによって値段が変動します。高く売却するためには、日本刀に精通している鑑定士が在中している専門店への持ち込みがおすすめです。また、古美術品は古いものに価値がありますが、保存状態が劣悪な場合、買取価格は上がりません。戦国時代に使われた刀の多くは消耗品と捉えられ破棄されてきました。にもかかわらず、現在まできれいに受け継がれてきた刀などには価値が生じます。また、市場には贋作(がんさく)といっていわゆるコピーをした刀も出回っています。可能であれば公益財団法人日本美術刀剣保存協会が発行している鑑定書を取得しておくと、信頼性が上がり高値で売却できるかもしれません。以上のことからも日本刀を売る際には専門の鑑定士に見てもらうことが良いとされていることが分かります。

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鐔とは

日本刀は、様々な芸術作品に登場し、特に漫画によって人気になっていますが、その一部分である鐔にも、注目が集まっています。では、それはどのようなものなのでしょうか。
鐔は、日本刀の持ちてである柄と、刀身の間につけられるものであり、戦いにおいて、相手の攻撃が手に届かないようにするため、という目的でつけられています。もともとは実用性のためにつけられていたのですが、段々と見た目の美しさも求められるようになり、それから、一点ものとなっていきました。
鐔を誰が作ったか、によって、その鐔の出来は違います。
刀匠鐔は、刀鍛冶によって作られたもので、無骨なデザインのものが多いです。
甲冑師鐔は、甲冑を作る職人によって作られたもので、それなりにデザイン性は高いです。
それから、応仁鐔は、応仁の乱付近に作られたもの、尾張鐔は戦国時代に作られたもので、特徴的なデザインとなっています。
鐔についてよく知り、ぜひ楽しみましょう。

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日本刀の柄とは

日本刀には他の武器同様、手で持つため作られた部分があり、それは柄と呼ばれています。ほとんどの場合、柄は内部に木製の芯を収めています。

また、柄はその実用性だけでなく、美術的な価値も認められるようになっていきました。

柄は鞘師と呼ばれる職業の方々が作った木地に、鮫皮という、名前はサメっぽいけど実際はエイの皮という、ややこしいものを着けるというのが一般的な構造です。

鮫皮には大きな粒があり、これが柄の装飾性に非常に貢献しています。つまり、この大きな粒をどのように魅せるかが、職人の腕の見せどころというわけです。

柄には様々な種類があり、使用目的によっても異なります。太刀専用の太刀柄、糸巻柄・蛇腹組や糸巻柄・常組、儀礼用に作られた粒だらけの出鮫柄など、本当に様々です。

そのため、それぞれが美術的な価値を持っていると言えるのです。

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オンラインゲーム刀剣乱舞

新しい発想のオンラインゲーム刀剣乱舞は、刀剣育成シミュレーションゲームです。それも日本の名刀を擬人化させたゲームで、人間に姿を変えた刀剣である刀剣男士を自分で育てていきます。そして自分だけの白刃隊を作ることができます。

謎の敵を倒すという激しいバトルを繰り広げることもできますし、刀剣に関するエピソードなどの情報も獲得できます。歴史好きさんや日本刀愛好家も魅了される内容です。

この刀剣男士がイケメンの戦士に姿をしているため、女子にも人気で、刀剣乱舞をきっかけに本物の日本刀にも興味をもった日本刀女子も急増しました。

このゲームのすごいところは、刀剣の種類や特徴を刀剣男士の台詞や見た目に、忠実に表現しているところです。細かい部分まで忠実に裏付けられているので、プレイする人を魅了し、さらにファンを増やします。

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日本刀における刀身彫刻の種類と作り方

今では若い世代の間で日本刀が大人気となっており、実際に購入をされる方もいるほどです。美術品としての価値も高いのですが、名刀だと必ず刀身に刀身彫刻をなされているのが特徴となります。簡単にその種類を述べると20種類で構成をされていて、龍や虎といった伝説上の動物をモチーフにされるのが基本です。神秘的なパワーを刀身彫刻に込めており、もともと儀式で使用をされていたころの名残りといえます。刀身彫刻の作り方は、まず最初に鍛錬をして刀を生み出し、その後は彫刻師によって手作業で表面に刻印をします。刻印は力加減が難しく、刀身の強度が下がらない刃先や柄の手前に刀身彫刻をするのが基本です。名工と言われる方の作品は特に価値があります。

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一期一振について

鎌倉時代中期の人、山城国住人粟田口吉光は、短刀が有名な刀匠である。一期一振は唯一の長刀といわれている。銘の「一期」はそれ故に名付けられた。「一期一振吉光」もしくは「一期一振藤四郎」とも呼称される。吉光作の日本刀は、正宗、郷義弘等と合わせて名物三作と呼ばれ古来より尊重されてきた逸品である。鍛えは小板目、刃文は直刀に小乱れで互の目交じり、小足が入る。表裏に棒樋は通る。茎は大磨上。目釘孔は一つ、その下に「吉光」の額銘が刻まれている。製作の後、所有者不明の状態が長かった。一説には、戦国期に越前の戦国大名朝倉氏が所有し、家宝としていたという。他方、本阿弥祐徳が堺にて銀30枚で入手、後に豊臣秀吉に金30枚で召し上げられたとの説もある。

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日本刀の刀身で確認できる乱れ映りとは

芸術品として価値がある日本刀は、今では若い世代も夢中になるものとなりました。全国各地の美術館や博物館でも目にできるので、じっくりと観察をしてみるのも悪くはないでしょう。その際、刀身部分に歪みを確認することができます。通称・乱れ映りというもので、ご自身の顔を鏡のように映すと確認をすることが可能です。

ほぼすべての刀で目にできますが、乱れ映りは鍛錬をした際には必ず生じるものになります。そしてその乱れ方でどれだけの耐久度を持つ日本刀なのかを判断することも可能です。刀の価値を見出す際、両手で持って刀身を見つけるしぐさをしますが、これは乱れ映りを確認しているからです。鍛錬の力加減・回数を乱れ映りから把握ができます。